「性春の蹉跌」第一回
 今回のタイトルも、「明日はどっちだ !!!! 」同様、岩田君のカキコの、 パクリでして、Keion 2046 参照、彼には、詩の才能がありますね。 つまり彼は、「バイクにまたがった、吟遊詩人」だったんですね。 1971年、一月二日は、土曜日でして、当時僕は高校三年生、夜の十二時を、 過ぎて、十八歳の誕生日となりました。十八歳・・・パチンコ、成人映画、 土曜日の夜、オールナイト・・・行こう !!! 僕の当時住んでいた、稲穂町の家から、歩いて五・六分のところに、 「富士館」という、ピンク映画上映館があり、寂れた商店街に面していて、 そこの前を通るとき、横目で看板やポスターをちらちらと見てました。 ピンク映画二本と、申し訳程度に一般映画一本の三本だてて、 ピンクのうち、一本には、必ずといっていいほど、「谷ナオミ」という、 名前が書かれていました。「人気のある女優さんなんだなあ。いっぺん、 見てみたいな」と思っていました。その後、「谷ナオミ」は、団鬼六さんに、 よると、九州で、ナイトクラブを経営してらっしゃるそうです。 そうですよね、別宮君。 「よし、行くぞ !! 」まるで、敵討ちか、肉弾三勇士の決死隊みたいな、 意気込みで、オーバーを着て、出かけました。 普段映画館に行くときは、学生証を提示して、「高校生一枚」と窓口で、 切符を買っていましたが、今度はそうは行きません。「大人一枚」と、 言おうか、いや待て、それは変だ、成人向きなのだから、大人に、 決まってるとか、あれこれ作戦を練りながら、雪の降る中を、 歩いていきました。 百円札を四・五枚無言で差し出し、無事切符を手に入れ、モギリの、 おじさんも無事通過。館内のドアを開け、いよいよ禁断のエロスの世界、 おんなのハ・ダ・カ !!! が眼前に・・・・僕が入っていったので、数人の客が、 振り返りました。するとその中の一人としっかりと目が合ってしまいました。 なんとその中年男は、高校で数学を教えている、野球部の顧問の、 「高田」・・・・・・(続く)

 「性春の蹉跌」 第二回
 深夜のピンク映画館で、目と目が合ってしまった、高校の、 数学教師、野球部の顧問の「高田」と思しき中年男に対し、 僕の取れる態度は、ひとつしかありませんでした。 「無視」です。しかも瞬間的に、自分の人相を変えようと、 精悍な顔つきに変え、肩で風を切るように歩いて、着席しました。 「高田」には、授業を受けたことはありませんが、サッカー部、 (僕はサッカー部でした)と野球部、ラグビー部は、一緒の、 グラウンドで練習してますから、当然僕の顔は、知ってるはずです。 気がついたかなあ、それとも「高田」のクリソツに過ぎないのかなあ? とうとう声をかけられなかったので、スクリーンに集中することにしました。 どうやらピンクの一本らしく、白黒の映像の中に、妙に垢抜けない、 おんなと、わざとらしい芝居の男優が演技してました。 「くせえ芝居だなあ」と思ってみていると、そのうちに、二人が、 次第に盛り上がってきて、すると突然、画面がカラーになりました。 「おおうっと、これがうわさに聞く、パートカラーっちゅうやつか・・・」 いよいよ始まりました。禁断のエロスの世界・・・目の前にカラーで、 大写しにされている、おんなのハ・ダ・カ・・・・・・ でもその後のビニ本だの、AVだのと、比べると実におとなしい表現と、 言わざるをえないでしょうねえ。時代ですねえ。 一般映画(何を見たか忘れました)をはさんで、もう一本ピンクを見て、 映画館を後にしました。夜の長い冬ですから、まだ暗い商店街を、 降りしきる雪の中、歩いて帰りました。 「冒険」を成し遂げた、達成感はありましたが、なぜか虚しさを、 感じました。あんなに渇望した「おんなのハダカ」も、隠しているところは、 どうしても見ることはできませんから、表現が単調になるし、すると、 すぐに「飽きて」しまうんです。それに映画好きの僕ですから、 単純なカメラワークや、単調なカット割りは、やはりつまらない・・・。 まあそれでもしばらくすると、また見たくなるんですよね。 男って、バカですよね。「富士館」には、浪人中も、一・二度、 行きましたでしょうか。その後日活ロマンポルノが、1971年から、 でしたが、僕が始めて見るのは、1973年の成人の日であります。 「谷ナオミ」さんのピンクは、とうとう見ることはできませんでしたが、 ピンク映画に関しては、そのタイトルのユニークさに魅かれて、 時々新聞の映画館情報を見てました。今でも覚えている、 傑作タイトルを二本、ご紹介いたします。   「白百合学園女子寮日誌 三日三晩うらおもて」   「痴漢電車 おっさん、何するんや」 どうです、ぜひ見たくなるでしょう。残念ながら、僕も見ることは、 できませんでしたが、まあタイトルをかみしめて、味わうだけでも、 楽しいですよね。 次回はいよいよ、日活ロマンポルノです。
「性春の蹉跌」 第二回 了

 「性春の蹉跌」 第三回
 1970年の暮ごろだったと思いますが、受験勉強の息抜きと称して、 夜、友人宅で雀卓を囲んでいました。つけっぱなしのテレビで、 司会者が一人の女性を招きいれ、スタジオ内の一般見学者に、 この方は何をされている方でしょうと、問いかけ、「保母さん」とか、 「幼稚園の先生」とか、言う声にうなずき、じつは、「ロマンポルノ」の、 女優さんですと、紹介しました。 思わずパイを持つ手が止まりました。画面には、おとなしそうで、 優しそうできれいな「お姉さん」が艶然と、微笑んでおりました。
 僕がはじめて、「片桐夕子」さんを知った瞬間でした。 日活の経営難から、一般映画と平行して、「ロマンポルノ」という、 成人向け映画を製作するという、話題は知ってましたが、こんな、 きれいな人が出るなら、ぜひ見たいものだと思いました。 でもなかなか見る機会はもてなかったのですが、雑誌のグラビアなど、 注目しておりました。「女子高生レポート 夕子の白い胸」など、 いまでも見れたら見たいと思っております。 1952年、東京出身とかで、計算すると学年が一個上ということに、 なりますか。芸名は僕思うに、水上勉の「五番町夕霧楼」で、 金閣寺に火をつけた、坊んさんの敵娼が、片桐夕子という名であり、 そこからとったのではないでしょうか。
 残念ながら、とうとう劇場で、 片桐夕子さんのロマンポルノを見ることはできませんでしたが、 数年後、たしか藤田敏八の映画でチョイ役で出ていまして、 なんとその役が「仕事のしすぎで腕が腱鞘炎になって仕事を、 休んでいるトルコ嬢」でして、笑っちゃいますね。煙草の煙を噴き上げ、 蓮っ葉な感じの「お姉さま」もなかなか、婀娜っぽくて良かったです。 色々調べてみますと、デビューしてすぐに若い監督と秘密裏に、 結婚したらしく、なんとその相手「小沼勝」さんは、小樽出身で、あります。このたび小沼監督が久しぶりに撮った「Nagisa-なぎさ」が、 第51回ベルリン映画祭でのある部門で、受賞したそうで、 主人公の母親役で、片桐夕子さんも出演されているそうです。 機会があったらぜひ見たいと思います。
 1973年、僕は二十歳になったわけですが、聴いた話では、京都は、 学生が多いから、成人式は申し込んでの志願制とかで、じゃあ、 成人の日は、ロマンポルノでも見に行くかと、隣の部屋の、立っちゃんを、 誘うと一瞬ちょっと緊張した顔をして、うんとうなずきました。 彼は現役で立っちゃんに入ってますから、僕なんかとは違って、 成人向きの映画なんか見たことなかったのでしょうね。 ふたりで新京極あたりの、映画館に入ると、中は意外と明るく、きれいで、 僕らと同じ考えらしく、学生がまるで佃煮ができるほど、こぼれんばかりに、 集まっておりました。 たしか田中登監督の「夜汽車の女」だと思います。もう一本は、 忘れましたが、ピンクとは違って、女優さんはきれいだし、 撮り方も丁寧だし、スタッフの意気込みのようなものを感じました。 その後、岩倉木野町へ引越しし、京福電鉄鞍馬線で通学するように、 なったので、一乗寺で降りると、あの伝説の「京一会館」が、 ありました。
 次回は「京一会館」の思い出をカキコします。
「性春の蹉跌」 第三回 (了)

 「性春の蹉跌」 第四回
 京福電鉄「出町柳」駅から、三つめ「一乗寺」駅から西へ、 百数十メートル行ったあたりの、スーパーの二階に、「京一会館」が、 ありました。ここは、便所のにおいはさほどではありませんが、 煙草は吸い放題でして、とにかくヤニくさかった。僕はここで、 ほとんど洋画をやってるのを見たことがないのですが、洋画を、上映することもあったのでしょうか? ロマンポルノのほかに、寅さんを始めてみたのもここですし、 週末のオールナイトでは、○○大会と称して、いろんな特集も組まれ、多くの学生が、詰め掛けて熱気溢れる館内となっておりました。
 過去ログにあるように、ロマンポルノ大会で、○○氏が、 「おい××、紙や、早よ紙をくれ・・・」と大きな声を出して誤解されたが、 じつは鼻をかみたかっただけだったという傑作な事件の舞台であります。 あるとき、僕も杉本さんや、川村さんもいらしたと思うのですが、 四・五人で、「菅原文太大会」を見に行ったことがあります。 「仁義なき戦い」を数本見たのですが、カセットテレコを持っていたので、 時々名場面を録音したりして、楽しんでました。 そのなかで、文太が大勢の敵に囲まれている中、ピストルを手にして、「弾はまだ一発残こっちょるきに」でしたか、「残こっとるでよお」 でしたか、広島弁はよくわかりませんが、かっこええシーンがありました。 「弾は一発」を「おとこのいのち」と言い換えれば、やるべきときは男は、 命をかけてでも、やるんじゃあ・・・と読むこともできて、体育会系の血が、 騒ぎましたねえ。「ワシにまかせてつかーさい」なんて、すっかり、 文太に、なりきって、明るくなりかけた外に出ました。
 このシリーズで、まるで頼りにならず、平気で敵を裏切り、あるときは、 身内の子分までをも見捨てたり、裏切ったりする親分を演じた、 金子信雄さんが、おもしろくてよかったですね。 後年、「おれたち、ひょうきん族」で、パロディーで彼を演じた、片岡鶴太郎も、秀逸でしたね。 そのほか、川谷拓三が、両手を縛られたまま、海の中、モーターボーで、 引っ張られ、溺れて死にそうになったりとか、このシリーズは、なにかと、 話題の多い映画でした。
 おおっと、ロマンポルノでしたね。前回カキコしたように、僕は、 片桐夕子さんのファンでしたが、ほかには、白川和子さん、山科ゆりさん、 などか好きだったのですが、京一会館で見るころには、団地妻シリーズは、 白川さんから、宮下順子さんに代わってましたし、片桐夕子さんも、 山科ゆりさんも、見れなくなってました。でも今思えば、このころ、 監督をしていた若い人たちが今の、日本映画を支えているといっても、 過言ではないでしようね。神代辰巳、相米慎二、根岸吉太郎、田中登、 池田敏春、村川透、金子修介、小沼勝・・・・・そう、そして、藤田敏八です。 彼については、一度あらためてカキコしたいと思います。 ロマンポルノを見ていたとき、映画の中で、架空の大学名として、 学習院をもじったのでしょうね、「修学院大学」というのが登場して、 館内、おおうけしての大爆笑となったことがあります。「一乗寺」のつぎが、 「修学院」でして、ここも下宿や学生アパートの多いところですから、 そこから見に来ていた学生も多かったでしょうね。
 最後に「性春の蹉跌」らしい話題をひとつ。 僕の聴いた話では、京一会館で、一度ロマンポルノの女優さんの、舞台挨拶が予定されていたことがあったそうです。それを聞きつけた学生が、大挙して押しかけ、押すな押すなの大騒ぎでして、そこに女優さんが、 来たものですから、さあ大変・・・・詳しく書くと、このMLの品位が、 著しく低下する懸念がありますので、やめときます。 まあそうでしょうねえ。飢えた狼の群れの中に、生贄の子羊を、 放り込むようなものですから。それ以来、舞台挨拶はおこなわれなくなった、 とのことです。
 次回は、藤田敏八監督について、他をカキコしたいと思います。
「性春の蹉跌」 第四回 (了)